文フリ東京36でいただいたフリペの感想とか#1(mah)

文フリ東京36

文フリに初めて出かけてきた。信じられない熱量、それは、精神的にも物理的にも。目的を持ってやってこないと、人波に飲まれて何も手に入れずに終わってしまう。わたしは相棒のなぎささんの金魚のフンをやって、何名かの歌人、短歌をやる人に、軽く挨拶をしたり「シュガーソングス」を渡したり名刺を押し付けたりして、楽しい時間を過ごした。

そうした中で、何枚か他の短歌の人たちの発行したフリーペーパーを頂いた。今日から少し時間をかけて、それらの感想を書いていみようかと思う。

 

初夏に読みたい自選短歌10首 真島朱火

坂道を二人で漕いで君も明日筋肉痛になっちゃえばいい

二人で坂道を自転車で登っていく。「君」はまだ恋人ではない。もしかしたら「君」には決まった相手がいるのかもしれない。そんなもどかしさの中で、「君」と「二人で」「筋肉痛」になることが、同じ時間に、確かに二人でいたんだということの証となる。「なっちゃえ」と言っていることから、やはり「君」には決まった人がいるかして、もう何をしても自分と恋人になってはもらえないくらいの距離感が示されているのかな、とにかく切ない想いを感じる。

それはわたしたちも似たような記憶がみんなあるはずで、そうした甘酸っぱい思い出を思い起こさせてくれる一首だった。

 

マンション 辻聡之

木の枝や泥や唾液で家を作るいきものたちを追い立ててひとは

マンションを探している主人公が、探しながらそんなことを思っている。普段は鳥やらリスやら小動物のことなんか思い出すこともないけれど、いざ家を探す段になって、改めて「家」というものを考えたときに、人間が、先に家を作ってきたいきものたちを追い出し、後から自分たちの家を作っていくことの身勝手さを思う。それは家に限らず、あらゆる側面でそうなのだと思う。その残酷性といやそれしょうがないでしょという諦念と人間って自分勝手だなあといういくばくかの感傷が表されていて、なんだか我に帰らされる一首だった。

 

パスカさんと星野珠青さんのフリペ 

僕の血液型だけ足りている

パスカさんの自由律俳句。
普段、自由律俳句どころか普通の俳句にも触れていないので、どの作品も新鮮で面白かった。

その中でとくに目を引いたのが、この句だった。

「僕」は血液型がA型なのだろう。A型というのは日本では圧倒的に最多人数を誇る。だから献血現場でも、A型は比較的血液が足りている。別にそれが悪いわけではない。しかし、「足りている」と言われると、なんだか自分の価値が安く感じてしまって、量産型と軽んじられるようで。そのなんとなくいじけた感じがA型であるわたしも共感できて、面白かった。

ちなみに、インド人はB型が一番多いそうです。

 

よみがえる童心だけを信じたい夕暮れのツリーハウスに登る

星野珠青さんの短歌。

初見「登っちまったんかーい!」と思った。

普段は仕事に生活にと忙しく、文字通り心を失くしてしまっているような日々だけれど、ふと立ち寄った公園でツリーハウスを見つけて、ああ懐かしいな子どもの頃よく登ったな。あー、自分の中の童心がざわつく。この童心こそがこの願いこそが、世界に慣れて世の中に紛れて自分で自分を追い詰めていくような大人になっていく過程の前に抱いていた、本物の自分の本当に心からの渇望だったのではないだろうか。

大人でも、スリーハウスに登った人だけが見える景色が、感じる気持ちが、たどり着ける境地が、きっとあるんだろうなと思う。

 

では

今回はここまでです。好き勝手妄想解読してしまい、怒っていたらすみません。まだこのシリーズは少し続きますので、お付き合いいただければと思います。(mah)