うすがみの銀河(鈴木加成太)

 旅行にはいつも、歌集を一冊は持って行く。読むか読まないかはわからないけど、持っていれば移動中に読むこともできるから、という思いからだ。九州への新婚旅行のお供にと本棚から持ち出した歌集がこの『うすがみの銀河』だった。そして、別府から福岡へ移動する特急ソニックのなかで本を開いて気づいたのだ。なんのためらいもなく本棚の未読本から選び出した歌集の装画が川瀬巴水の「別府乃朝」であることに、ソニックの揺れが激しすぎてとてもゆっくり本を読めないことに。
 ということで、名古屋に戻ってから、四日市へ出かけるために乗った近鉄急行の中でゆっくりと読んだ。ときどき、車窓の木曽三川に目をやりながら。

 『うすがみの銀河』という歌集の中に広がっていたのは、どこかで雨が降り、またどこかでは音楽が響いている銀河であった。口語体と文語体の歌が同じ歌集の中に存在し、数多ものモチーフを散りばめながらも、すべての歌が鈴木加成太さんの銀河として在るのだ。その銀河を漂うような読書体験はとても幸福なものだった。

ゆめみるように立方体は回りおり夏のはずれのかき氷機に

お店などのかき氷機を見ると、とても大きな立方体の氷がおなかあたりに存在している。何度見ても、わたしはかき氷機のブロック氷を見るたびに、「そこにそんな大きな氷があるのか」とぎょっとしてしまう。そうか、あの立方体はゆめみるように回っていたのか。だから、まるで実在と非実在のあいだにあるような気がしていたのか。いずれ氷は溶けてしまうものだから。夏の「終わり」ではなく「はずれ」である点も、感覚としてよくわかる。かき氷機はたぶん、隙間に近いところにある。

どんなにうまく傘をさしても容赦なくスーツを濡らす雨の散弾

就職活動を詠んだ一連の連作から。わたし自身、傘をさすという行為がとてもへたくそで、だいたい三分の一半身は濡れてしまうのだけど、この歌に詠まれているスーツはきっとH2Oの粒としての雨だけではないだろう。慣れないスーツを着ている自分へ、前向きではない感情が雨と一緒に散弾となって降り注ぐ。うまく傘をさしたとしても、自分を守りきることができない。明るくはない場面かもしれないけど、まっすぐに捉える強さがある。

オレンジの断面花火のごと展(ひら)きあなたはてくれた不幸も

オレンジを串切りにせず、横に切って掬って食べるのだろう。オレンジの房は放射線を断面に描き、粒のひとつひとつは花火の光のようだ。花火は打ち上がり、ぱっと開いてはすぐにばらばらと音を残して散っていってしまう。オレンジも、食べれば目の前からなくなってしまう。「あなた」は、花火のように展いたオレンジの半分と一緒に不幸も分けてくれた。恋愛の中に含まれる喪失感に胸を打たれる。

未完成交響曲「朝」奏すべく湖(うみ)に波紋という弦楽器

夜行バスを描いた連作の中にある一首。サービスエリアから見える湖に波紋が等間隔に広がって、まるで弦楽器を思わせる。夜行バスに乗って迎える朝はどことなく朝として完成していない気がするのだけど、その朝を「未完成交響曲」として捉える豊かさ。音楽という触媒を持ち込むことで、夜行バスに乗って迎える未完成な朝に奥行きが生まれた。

海の音を買ひに来しiTunesに電子の金はかろやかに消ゆ

iTunesへ海の音を買いに来た。来たとはいっても、手元のデバイスを数回クリックすればiTunesへ着いてしまうし、Apple Storeの残高と引き替えに海の音だって買えてしまう。データは目に見えないけれど、確かに海の音は聞こえるし、購入ボタンをワンクリックしただけで確かに残高は減る。それだけのことを文語体で丁寧に書くことで、この歌にはおかしみが生まれている。

 

 各章から一首ずつ引いて鑑賞したけど、どの歌を引くのかはさんざん迷った。鈴木加成太さんの短歌を読んでいるあいだ、どのように鈴木さんが世界と対峙して、何を感じて、感じたことをどう自分の中に落とし込んでいったのかという軌跡をなぞるような感覚でいっぱいになった。細部を丁寧にすくい取る描写、心地の良い飛躍、散りばめられたさまざまな試み。
 読みながら、もっと自分の短歌の世界を豊かにしていきたいと思える歌集だった。読者のそれぞれが持つ銀河を、よりいっそう輝かせてくれるような、そんな歌集に出会えてよかった。(岡田奈紀佐)